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AUX BACCHANALESで赤江瀑

2018.11.07 2018

これまで幾度となく、
時間ノアル時ニハコレマデ興味ノナカッタコトニ触レテミタラ新シイ未知ノ世界ガ開ケ己ノ視野モ広マルカモシレナインジャナイ?
などと思い、
まずは主に映画や本など(音楽は必要ない聴きたくない)、まったく趣味ではないもの、
興味のかけらも持てなかったもの、でも世間の評価を得ているもの、
などを試してみたりするのだけれど、
やはり結局は忍耐力との戦いのみに終始する。。
そこにきらめきを見いだす努力ほど困難なことはないのであーる。
ああつまらないくだらない。
ネェ、視野ヲ広ゲタイノナラ、苦手ナ歴史ヤ語学ノ勉強ナンカスレバイインジャナイ?
……いえ、いまさらそれはめんどくさいです。
 
というわけで、好きなものだけに耽溺する高踏遊民生活秋爛漫。
この頃は特に不思議と、初心を取り戻す感覚が多く訪れる。
 
読むものがなくなると、昔好きだった本をkindleで探す。
ああ、そう、この作家、赤江瀑。この作家に出会っていなければ
今の私は無かった。
1970年後半から80年代、あの幼い時期若き日々折々に、この作家の描く魔に
どんなにか囚われ、闇の深みの煌びやかさに戦きながらも溺れたであろう。
何も成し得ない未熟な私を優しく包み込んでいた
様々な色彩を放つ漆黒の翼。
 
当時赤江瀑は人気作家で、賞もいくつも獲っていて(泉鏡花賞も)映画化もされた。
電車の小説雑誌の吊り広告にその名を見ない時はなかったし、(連城三紀彦もね)
ファンはその新作のタイトルを見ただけで、
うっとりと蕩けるような感覚を胸の内に潜ませたものだった。
 
しかし、しかし現代での赤江の評価はあまりに低い。
絢爛な全集がなぜない!のかと思う。。まあ文庫はあるけれど。
若い人に、殊にアリプロなんかが好きな人には
ぜひに読んでもらいたいと常々思っている。
晩年はあまり書いてなくて、単行本は2007年の「狐の剃刀」が最後だったなあ。
あの時も、私は心の中で赤江健在!!と叫んで泣いたものだった。。
 
でも赤江自身、ジャンコクトーのこの言葉を引用している。
「一度阿片を喫んだ者は、また喫む筈だ。阿片は待つことを知っている」
 
そう、やはり戻ってきたのです、ここに。
 
夕暮れのカフェで、漂う葉巻の匂いを嗅ぎながら
久しぶりに繙く赤江美学。
一篇読み終えた時、辺りいちめん永遠なる逢魔ヶ刻の底
初めて読んだ時以上にもっと深くその世界に傾れ落ちた。
私が生きつづけたい場処は此処。
他のものなんてなくていいじゃない。
 
阿芙蓉寝台に横たわる私にとって、
赤江瀑が最も強い阿片なのだいうことを
思い知る2018年の秋なのです。
 

つづく。