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「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」
いつだったか「日曜美術館」で《アダンの海辺》の絵が映し出されたときに、
母が「たなかいっそんね」と呟くように言ったのが印象に残って、
日本のゴーギャン?くらいにしか知らなかった田中一村という画家に興味が沸き、
この展覧会に行きたいなと思っていたのでした。
(気づいたら終了間近、だからなのか平日なのにかなりの人)
神童と呼ばれた少年時代の絵は上手で瑞々しくも、この先の一村の画風をもはや閉じ込めていて、
東京美術大学日本画科入っても2ヶ月で退学、
(理由は家事事情など諸説あるようですが、己の学ぶものがないと思ったのでは? の説に一票)
独学で自分の日本画を模索し描きつづける青年画家。
この展覧会の第一章では七、八歳から十代の頃の画が並べられ、
若き南画家(南画とは簡単に言うと中国風水墨画的な)として活躍したあとの、
二十歳を越えた時の屏風画の力作「椿図屏風」に来ると、画風は一変、
さらなる開花に声が出そうになった!
そのまだら恋椿(笑)も心惹かれるけれど、
赤だけで描いた雁来紅(鶏頭)の画があって、構図も凄くて、素晴らしくて。
う、、もう一回観たい。
え、、もう一回行く・・?
画集買えばよかった・・。
第二章は移り住んだ千葉時代。
第三章は五十歳から晩年を過ごした奄美大島時代。
一村の描く花も鳥もそして葉も、生きている、という感じがものすごくする。
“生命力がある”という表現ではなく、生きている、と言いたい。
そして、人間が惹かれる魅力に溢れている!
そこは、“人が” ではなく、“人間が” と言いたい。
そう、人間が惹かれるものが、その絵にはある。
私は奄美大島には行ったことないけれど、
一村の画家の眼を通して、その景色を、いつか見られたらなあ、
なんて思うほど、この画家がとてもとても好きになっていました。
だって「これは私の命を削った絵で、閻魔大王へのお土産品なのです」
なんて言えちゃう人、私、ひれ伏すしかないもの!!
その閻魔様へのお土産が、《アダンの海辺》と《不喰芋と蘇鐵》2点。
展覧会の最後に並べて掲げられています。
日本人は若冲大好きだけど、
一村もみんな好きになるのではないかしら。
この展覧会の盛況ぶりをみてそう思いました。